DJ やーまんの令和維新だ!ばかやろう!!!

ド田舎のおじさんが狂った世の中に物申します

音読のススメ

小学校の国語で「音読」の時間があったのは皆記憶にあるだろう。

 

すらすらと読み上げる子もいれば、

たどたどしくつっかえながら一生懸命に読む子もいただろう。

 

どちらかというと私は前者だった。

 

なぜ、大人になった今

 

「音読」に注目するかと言うと脳のパフォーマンスを向上させるのにうってつけな方法だからである。

おまけに幸せホルモン「セロトニン」も増え、寝つきもよくなるときたら日々のルーティーンに導入しない手は無い。

 

 

そしてこんなに素晴らしい恩恵があるのにお金は掛からない。

無料で「素敵な未来」という福袋を手に入れるチャンスである。

 

なぜなら、日々の習慣を変える事で未来を変えているからである。

悪い習慣を捨て、いい習慣を取り入れ継続する。

 

これで人生はいい方向に転がるのだから簡単な物だ。

 

そして

 

「音読」に着目したきっかけについて話させていただく。

 

カナダへ来てとても頭脳明晰な70歳のおじいちゃんと話す機会があった。

 

その方は自称IQ176であり見た目は「豊臣秀吉」、頭脳は「バックトゥーザフューチャーのドク」見たいなお年寄りであり、さすがの名探偵コナンも迷探偵になるレベルである。

 

冗談はさておき

 

その方の何が素晴らしいかと言うと

 

トーク

 

何十年も前の事を鮮明に記憶しており、それを話す時も頭の回転の良さが際立った話し方で、それを聞く側にも同じ情景を浮かべさせる素晴らしい頭脳のお持ちの方であった。

 

そこで気づいたのは記憶の中から情景を引っ張り出し頭の中でイメージしながら話していると。

 

私は人と話すとき「視覚からの情報」と「話す内容について考える事」

この二つのタスクで頭の中のワーキングメモリがいっぱいになってしまう。

 

簡単に言うとパソコンのメモリの容量が少なく、音楽を聞きながら、ネットサーフィンしもう一つアプリケーケーションを開くとフリーズしてしまうような貧弱なメモリしか搭載していないと言う事になる。

 

 

お前は「ウィンドウズ95」か、と言う悪口も甘んじて受け入れよう。

これをウィンドウズXPぐらいまで進化させるにはどうしら良いか?

 

脳のワーキングメモリを増やす訓練を常日頃からせねばならない。

 

 

そこで白羽の矢がたったのが「音読」である。

 

文章を限界まで高速音読しながら、読み上げた情景を前頭葉で思い浮かべる事により鍛錬するのである。

 

読み上げる事で文章を理解し処理する能力、想像力を鍛える、滑舌がよくなる、語彙力が上がるなど効果が見込める。

 

最近はジャンルにとらわれず、いろいろな文章や音声、動画を見ていて気づいたことがある。

相手に伝えたい事の内容が「伝わるか」「伝わらないか」の差は発信する人の想像力がかなり大きな決め手になることがわかった。

 

自分のイメージする力が強いほど相手にも強くイメージさせる事ができるのである。

 

頭が良いとはそういう事である。

 

事業でも恋愛でも自分の気持ちを相手に伝える事の重要性は計り知れない。

 

当面は自分のブログとバイブルである「武士道」を高速音読いたす。

 

本日は以上、

 

 

 

 

 

 

 

水を制するものは人生を制する

人間の体は70パーセント水分で構成されている。

 

先日、80対20パーセントの法則をご紹介したと思う。

重要な2割の要素が残り8割の結果に反映されるという物だ。

 

健康という面で最重要な事は何かと言われたら、

すなわち最大の構成要因である水が最重要課題となるのは自明である。

 

よりよい水を体に供給できた人間が世の中を制すると言っても過言では無い。

 

しかし、生きていく上で必要不可欠な水が今現在、危機に見舞われている。

 

それは「水道民営化」である。

 

老朽化した水道インフラを整備すると莫大な予算が必要になるので上下水道の利権を外資水メジャーに売却し運営を任せるという事である。

 

私は陰謀論者では無いので事実のみ書かせていただく。

 

浜松市がフランスのヴォエリア社に上下水道の運営権を売却したと報道されていた。

ヴェオリア社はロスチャイルド系の企業である。

海外の実績をみるとフランスやアフリカで民営化した所、水道料金が爆発的に上昇した事例があった。

 

日本でも同様になるのでは槍玉にあげられているがこう反論されている。

 

「運営権だけの譲渡なので水道料金は上がらない」

「時代背景や経済状況が違うのでそんな事にはならない」

 

どうも信用できない。

グーグルで「水道民営化」「利権」と検索したら「値上げにならない」という旨のブログがトップに出てきた事も何か解せない。

 

ユダヤの手口なので見え見えだが、最初だけ安くて日本の水道利権を掌握したら適当に理由をつけて値上げする魂胆であろう。

 

ユダヤは最重要のインフラであり水はいくらでも値上げできるだろうと考えている。

それが今すぐでは無いが徐々に侵食され一般人が気づく頃には時すでに遅しである。

 

そして

 

麻生太郎」が水道民営化に舵を切った張本人とされている。

 

確かに官営の水道事業はこのままだと立ち行かなるのは事実であり、それは運営方法の問題でありいくらでも見直せるはずである。

 

国営、官営は非効率な部分はあるが利益追求団体では無い、民営は完全に利益追求である。

 

企業は政治家に献金しそそのかし、日本の大事な財産をユダヤに売り渡しているのである。遺憾どころでは済まされない。

 

そんな売国奴に税金払ってヘラヘラしている日本人も同罪である。

 

全員死ねばいい。

 

 

帰国したら

 

 

車なんて無駄な物に投資しないで井戸水を最高の水に出来る浄水器を導入するとしよう。

 

水と食料が一番大事な事だって周りの人は気づいてない。

明日は種子法とモンサントについて書かせていただく。

 

本日は以上、

 

 

 

 

 

 

 

 

平和の礎

「成らぬ堪忍、するが堪忍」

この諺でお馴染みの徳川家康について話そう。

 

実際には家康の言葉では無いとされるが、その生涯や下記の言葉と結びつけられて記憶にある人は多いのでは無いだろうか。

 

「人の一生は重荷を背負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。堪忍は無事長久の基

己を責めて人をせむるべからず」

 

これを人生で実証した偉大な武士である。

家康の功績は徳川幕府250年の礎を作り、日本に平和と繁栄をもたらした事である。

 

江戸に幕府を開いたことにより江戸の街が栄華を極め目覚ましく発展し、現在の東京引いては日本の基盤となっている。

日本人全員、家康に感謝しなければいけない。

 

戦国三英傑「信長、秀吉、家康」話はその人物の特徴の違いから多くの人を惹きつけ、研究や考察などが成されており枚挙にいとまが無い。

 

その「堪忍は無事長久の基」となった最大の出来事は家康の嫡男である信康を粛清しなければ成らなかったことであろう。

 

もうこの史実の対していろいろな考察がなされているので、カップラーメンにお湯を注ぐぐらい簡単に説明させていただく。

 

厳密に申し上げると家康の嫡男は二代将軍秀忠では無い。

 

幼少時代、人質生活が長かった家康は「今川家」の人質になっていた時代あり、今川義元の養女だった「瀬名姫」と婚姻し信康を嫡男としてもうけている。

 

その後瀬名姫は通称、築山殿と呼ばれる事になる。

 

程なくし今川義元は信長に桶狭間の戦いで敗れ滅ぼされる。

 

築山殿は帰る場所を無くしたと当時に叔父である義元を打たれ事、桶狭間の敗北がきっかけで家康は今川家を裏切る原因になり、そのせいで実父も切腹に追い込まれた。

 

そんな築山殿の心中は

織田信長が憎い」

 

大切な人を奪われた築山殿の憎しみと憎悪は相当なものであったと想像できる。

 

その後、元服した家康と築山殿の嫡男である信康は

あろう事か最大の仇である織田信長の娘、徳姫と婚姻したのである。

 

その上「織田信長」「徳川家康」は軍事同盟である「清須同盟」を締結する。

 

明らからに信康と徳姫の婚姻は政略結婚であったと言えよう。

 

築山殿自身、最大の仇である信長の娘が可愛い息子の嫁なんてそれは、それは憎たらしくしょうがない。

嫁姑以上の問題であり信康と徳姫の居城である岡崎城はその憎しみから常軌を逸した姑にひっ掻き回され大変な事になっていたのは容易に想像できる。

 

そして

 

「築山殿、信康」と「徳姫」の溝が決定的となる出来事が起こる。

 

信康と徳姫の間にはなかなか子供が出来ず、それにしびれを切らした築山殿は城にいる女中を手当たり次第に信康に側室として与えていった。

 

正室の徳姫は当然面白く無い

 

徳姫

「こいつら頭おかしいし、めちゃイジメられるからむかつくは」

「ある事、無い事パパに言いつけちゃえ」

 

こんなノリであったと想像できる。

 

そんなこんなで徳姫は父信長に対し「12カ条の訴状」送る。

 

その中に

 

築山殿と信康が甲斐の武田信玄と内通し織田信長に対し謀反を起こそうとしているという内容が含まれていた。

 

それを見た信長をすぐさま家康に

 

信長

「お前のカミさんと息子が俺に謀反企んでるらしいじゃん」

「今すぐ二人とも殺せ」

 

これを聞いた家康は信長に逆らう事は得策でないと判断。

泣く泣く我が子、信康を切腹させ築山殿を斬首したというのがこの事件の結末である。

 

駆け足で要所、要所飛ばしながらのお送りさせたいただいたが家康にとって

大義である「天下統一」という遠大なビジョンの為に我を子を犠牲にせざる負えなかったその冷徹な判断力と忍耐力は凄まじい物である。

 

仮に妻子を守る為、武田信玄と内通し信長を挟撃する事も可能であったはず、そうしなかった家康の戦略と胸中を知る事は出来ない。

 

しかし、どんな犠牲を払ってでも大義を果たすという凄まじい忍耐力を持った徳川家康が偉大な武士であったという事を後世に伝えるエピソードにしては十分すぎる内容である。

 

 

最後に徳川の徳という字の成り立ちをご紹介して締めさて頂く。

 

諸説あるが「直」と「心」という字が長い年月かけて融合し「徳」になったとされる。

 

すなわち意味は素直な心と言う意味になる。

 

「徳 = 誠の心」

 

そう私は解釈している。

 

本日は以上、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

単一民族による洗練

デトックスの為、断食しているので頭が回らない。

そんな中、記事を書いたので内容が肉薄かもしれないがご容赦頂きたい。

 

 

前にもお話したがカナダは移民の国であり、

多様な人種を受け入れる懐の広さは尊敬すべきである。

 

2018年から2020年までにさらに移民を増やす予定でその目的は「少子高齢化」により経済が停滞するのを防ぐ目的である。

 

実際に経済は上向きであり日本も見習うべきと事である。

 

しかし、いい事ばかりではなく問題もいくつかある

 

その中に一つこのような問題がある。

 

単一民族による文化の洗練がなされない」

 

この点に着目してみたい。

 

文化とは知的洗練や精神的進歩とともに発明されたものであり

芸術、ファッション、料理もこの中に含まれる。

 

文化的側面で見たカナダの歴史は浅く、一言で表現するなら

大自然に囲まれた満遍なくいいところ」であり

 

秀でたものが無い。

 

すでに中国人に占拠されているエリアもあり

料理に関しては中国料理が一番美味しい、次いでは韓国である。

 

カナダ料理といえばフライドポテトにグレービーソースとチーズをかけた

プーティーン」なる奇怪なジャンクフードがあるがとても食べらた物で無い。

 

そのように物事を捉えると

 

日本のように文化も歴史もある国に生まれた事は誇らしい事である。

当たり前のように感じているが伝統芸能、絵画、文学、和食など日本人としてのアイデンティティーを成立されるには十分すぎるほどの文化を有している。

 

単一民族による洗練」がなされてきた賜物である。

 

洗練という言葉にプラスのイメージしか持たない人もいるだろう。

 

「洗練」とは陽の当たる方の表現であり、

影の表現は「競争と淘汰」であると考える。

 

その道の全ての人が第一線で活躍できる訳では無い。

それは自然界の無情な淘汰にも似た摂理であるが、一つ抜け道がある。

 

「海外に活路を見出す」

 

海外進出すれば

例えば「日本人が作る和食」それだけでブランドになる。

 

差別とかではなく

 

アフリカ人の真っ黒な手で握る寿司より

坊主の日本人板前が鉢巻して握った寿司の方が感覚的に美味しいはずである。

 

「日本ではライバルが多すぎて報われないから海外に出よう」

 

この号令は非常に合理的であるし、海外で活躍する日本人は賞賛に値する。

 

しかし影の表現をするのであれば

 

「中途半端でも海外に出ればなんとなく活躍できる」

 

このような人も実際いる訳でその類の人とはお近づきになりたく無い。

日本にいたら威張れないくせに、カナダにいると自分の実力以上な態度で振るまっているからだ。

 

これは「かっこ悪い」以外の何者でもない。

 

海外に活路を見出すという事はそういう側面もある事を知って頂きたい。

 

そして自分に対しての戒めである。

日本でかっこたる地位を築いてから、海外進出の野望を叶える。

 

 

最後に

 

 

カナダでは秀でた物は無いと申し上げたが訂正させていただく。

 

「ダウンジャケット」は無類であり世界最高の性能である。

 

そして

 

ダウンといえば真っ先に「カナダグース」をイメージするだろうが

もはや時代遅れである。

 

中国人がこぞってカナダグースを着用しているのでブランドイメージが下がった。

5年ぐらい前はかっこいいと思ったが今もこれからも買う気は無い。

 

 

それと、日本向けは寒冷地仕様では無いので防寒性能が劣る。

聡明な当ブログの読者は日本で、割高かつ性能が劣るカナダグースを絶対に買ってはいけない

 

 

本日は以上、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人はなぜ平等ではないのか

人は生まれた時から平等ではない。

 

生きていく中で、そして多くの場面で平等を強いられる事がある。

そもそも性別も能力も一人一人違うのに平等を強いられても全員が幸せにはなれない。

 

 

インドの最下層のカーストは物乞いや排泄物を運ぶ仕事しか出来ない。

 

イギリスの国王の嫡男は皇太子となり国王になる選択肢しかない。

 

 

この同じ人間なのにこの乖離はなぜ生まれるのか?

この疑問について考えた事がある人はいるだろうか。

 

単に運の問題ではないのは明らかである。

 

転生輪廻説の信奉者である私は、前世と言うものが存在する事を信じている。

 

人間の体には魂が宿っており死と同時に肉体を抜けて次の肉体へと宿り、魂は生まれ変わりを続けながら生き続けると言うものだ。

 

例えばスポーツや音楽など類まれな才能、天賦の才を持っている人がいる。

常人の努力では如何ともしがたいベースを持って生まれてくるわけだがそういう人々は

前世の段階で努力し積み重ねた物を引き継いで生まれ変わったと言う説がある。

 

 

これは合点が行く。

 

 

より簡単に言うと「強くてニューゲーム」をしている状態になる。

 

今世で全く持って怠惰な生活を送り、なんの努力も挑戦もせず人生を終えた人が来世でイギリスの国王に生まれ変われる訳がない。

 

 

前世の人間の積み重ねが今世のでアドバンテージの源泉であると私は考える。

 

 

人生は挑戦した人、努力した人、行動した人には必ず何かしらのご褒美が与えられるよう「ゲームバランス」が調整されている。

 

このゲームバランスを全体で俯瞰し、調整しているのが「神」と言われる存在なのではないだろうか。

 

神と言う存在や言葉は人間の創造物なので適切ではないかもしれないが、

それに値する大いなる存在によって我々は生かされていると言う方が適切かもしれない

 

 

大谷翔平の前世

「いやー今世で死ぬほど野球頑張ったんですよ。みんなはとは違う方法で。なんていうか二刀流ってやつで投手と打者で一番になろうとしたんですけど報われなかったすっ」

 

神的存在

「おーそうか、そうか。確かに頑張ってもんな!来世ではめっちゃ活躍できるようゲームバランス調整しとくわ」

 

大谷翔平の前世

「まじっすか!?あたーすっ!!」

 

このような感じではないかと推測する。

 

今ある人生が完全にランダム要素になっている訳ではない。

 

人生は

与えらた時代、環境、肉体でどこまで自分を高められるか

自己実現できるか自分自身と戦うゲームであり、他人と争うゲームでは断じてない。

 

 

最後に素敵な言葉紹介して終わろう。

敬愛するラストサムライである西郷隆盛の言葉である。

 

 

「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くし人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ねべし」

 

 

「他人と競ったり争うのではなく、自分の使命、運命、天命と向き合いなさい」

「それに対し最善の努力をし、うまく行かない事を人のせいにするのではなく自分の中にある誠の気持ちが足らない事や至らなさを悔い改めなさい」

 

今の私の解釈である。

解釈は人それぞれであっていいと思う。

 

なんと素晴らしい言葉か。

この言葉を自分の中で反芻し、今日も一日やるべき事に当たる。

 

本日は以上、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

過去の自分と対話する

昨日で勤務先の最後のシフトを終えた。

ハードに働いていたので、かなり疲労が溜まっている。

 

帰国まで2週間ちょっと

体をゆっくり休め、帰国後の計画や、自己改革の時間に当てようと思う。

 

勤めに出ると自分と向き合う時間が奪われてしまうのが一番きつい。

自分との対話をしづらくすることで労働者を縛り付け、その上精神力を奪えば人はどこへもいけなくなる。

 

会社と言う飼い主に首輪をつけたれた犬のように。

 

毎日、飼い主がエサを与えてくれる

それは毎月の給料の相当し

 

有給休暇でどこかへ行く

それは飼い主との散歩に相当する

 

リードが届く範囲なら自由が手に入るが

それ以上先の世界を自由に見ることはできない。

 

それはそれで合理的な生き方だと思う。

 

合理的でないのは嫌いな性格だが、その価値観は人それぞれ違う。

 

 

価値観の相違は、悲劇の母であり

 

 

勤務先のオーナーとは日に日に価値観の乖離が生まれ、働くことがストレスになっていた。

 

会社自体たくさんの問題を抱えいた。

 

だから

 

全従業員を代弁しオーナーの不貞行為や無意味な経営方針について糾弾した。

 

念の為、会話をボイスレコーダーで録音しておいた。

そしてそれを振り返り自分の成長を感じられずにはいられなかった。

 

正論を論理的にかつ、伏線を張りつつ最後に回収する手法を取った。

一対一で話している時には気づかなかった私のトークで相手を圧倒していた。

 

正論を突かれ、反論と言うよりかは話の軸をすり替えたり、自分の責任でない、知らぬ、存ぜぬで逃げる姿が録音ながら映し出されていた。

 

相手を論破したからどうという話ではない。

自分の心にある、本当の気持ちを相手に知って欲しかっただけである。

 

 

それが昔の自分にはできなかった。

そもそも言い出せなかったり、感情的になってしまったり、言葉でうまく表現できなかったり、言わぬが美徳みたいな感覚を持っていたりもした。

 

しかし、それが出来たのだ。

 

私の隣にはいつも子供の頃の自分がいる。

泣き虫だった自分、母親に甘えん坊だった自分、恥ずかしがりだった自分

 

 

そんなありふれた引っ込み思案な大人しい子供でも

上げたらキリがないくらい大人になって出来ることが増えた。

 

「そんな事はもう大人なんだから出来て当たり前」と思うかもしれないが

子供の時の自分では考えられらないぐらいの進歩なのである。

 

それを理解してほしい。

 

生きてきた1万日弱の日常の中で経験値を積み重ね今の自分となっている。

 

 

「すげーな、こんな事も出来るようになったんだ」

 

「すげーだろ、いつか出来るようになるから大丈夫」

 

子供の頃の自分と対話してほしい。

そうすると自然と自信が湧き上がってくる。

 

ブログを書くのも過去の自分と対話したいから。

 

過去の自分はもうすでに他人であり今の自分ではない、

過去の自分と言う他人と対話する事で新しい発見や大切な気付きが生まれるから。

 

 

 

本日は以上、

 

 

 

 

 

 

 

炭水化物は主食と言う名の麻薬

炭水化物はコカインより中毒性があると聞いらた信じられるだろうか。

 

それは毎日の常食であり、白いごはんは日本人にとって一番大切な食べ物である。

 

白いごはんを筆頭にパスタ、うどん、麺は精製された炭水化物であり食後血糖値を急激に上昇することは広く知られている。

 

ランチ後によくある睡魔に襲われる理由は

 

炭水化物を消化する際に血糖値が上昇し過ぎるのを抑える為、膵臓からインスリンが大量に分泌される。

そのおかげで逆に血糖値が下がりすぎてしまうのが原因である。

 

「ぼーっとしたり、眠くなる」

 

これらは精製されすぎた炭水化物を食べすぎた事による、インスリンの暴走が招いたお粗末な結果である。

 

1日、全力で「成すべき事」に向け合わねばならぬのにいかなる醜態か。

 

続けて

 

小学校の理科の時間に唾液にはアミラーゼと言う消化酵素が含まれており、炭水化物と合わさるとブドウ糖に分解されるという実験をした事は皆経験はあるだろう。

 

極論であり、厳密には体内の作用は違うが

 

「炭水化物を食べる=砂糖を食べる」

 

と同じで事であると言える。

 

稲作が始まってから2000年前後しか時は立っておらず、日本人の体はこれを完全に分解するように遺伝子が変化するまでには至っていない。

 

そしてきわめつけは

「コカインより強い中毒性がある」と言う事。

 

マウスに対し「砂糖水」と「コカイン」を与え続ける実験をしたところ、砂糖水に対しより強い依存性があったという結果が海外の実験で明らかになった。

 

これは炭水化物を常食すると確実に「中毒になり病気になる」と言う事であり

それは自分の体に対する作用をみれば火を見るより明らかである。

 

 

私たち、人間は失敗から学習し悔い改める生き物である。

 

炭水化物の摂取を極力減らし、糖質の少ない食事を心がけねが英雄には慣れない。

 

全ての習慣を見直し1日、1日積み重ねていく。

 

目的を成し遂げる為に。

 

本日は以上、