人はなぜ平等ではないのか
人は生まれた時から平等ではない。
生きていく中で、そして多くの場面で平等を強いられる事がある。
そもそも性別も能力も一人一人違うのに平等を強いられても全員が幸せにはなれない。
インドの最下層のカーストは物乞いや排泄物を運ぶ仕事しか出来ない。
イギリスの国王の嫡男は皇太子となり国王になる選択肢しかない。
この同じ人間なのにこの乖離はなぜ生まれるのか?
この疑問について考えた事がある人はいるだろうか。
単に運の問題ではないのは明らかである。
転生輪廻説の信奉者である私は、前世と言うものが存在する事を信じている。
人間の体には魂が宿っており死と同時に肉体を抜けて次の肉体へと宿り、魂は生まれ変わりを続けながら生き続けると言うものだ。
例えばスポーツや音楽など類まれな才能、天賦の才を持っている人がいる。
常人の努力では如何ともしがたいベースを持って生まれてくるわけだがそういう人々は
前世の段階で努力し積み重ねた物を引き継いで生まれ変わったと言う説がある。
これは合点が行く。
より簡単に言うと「強くてニューゲーム」をしている状態になる。
今世で全く持って怠惰な生活を送り、なんの努力も挑戦もせず人生を終えた人が来世でイギリスの国王に生まれ変われる訳がない。
前世の人間の積み重ねが今世のでアドバンテージの源泉であると私は考える。
人生は挑戦した人、努力した人、行動した人には必ず何かしらのご褒美が与えられるよう「ゲームバランス」が調整されている。
このゲームバランスを全体で俯瞰し、調整しているのが「神」と言われる存在なのではないだろうか。
神と言う存在や言葉は人間の創造物なので適切ではないかもしれないが、
それに値する大いなる存在によって我々は生かされていると言う方が適切かもしれない
大谷翔平の前世
「いやー今世で死ぬほど野球頑張ったんですよ。みんなはとは違う方法で。なんていうか二刀流ってやつで投手と打者で一番になろうとしたんですけど報われなかったすっ」
神的存在
「おーそうか、そうか。確かに頑張ってもんな!来世ではめっちゃ活躍できるようゲームバランス調整しとくわ」
大谷翔平の前世
「まじっすか!?あたーすっ!!」
このような感じではないかと推測する。
今ある人生が完全にランダム要素になっている訳ではない。
人生は
与えらた時代、環境、肉体でどこまで自分を高められるか
自己実現できるか自分自身と戦うゲームであり、他人と争うゲームでは断じてない。
最後に素敵な言葉紹介して終わろう。
「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くし人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ねべし」
「他人と競ったり争うのではなく、自分の使命、運命、天命と向き合いなさい」
「それに対し最善の努力をし、うまく行かない事を人のせいにするのではなく自分の中にある誠の気持ちが足らない事や至らなさを悔い改めなさい」
今の私の解釈である。
解釈は人それぞれであっていいと思う。
なんと素晴らしい言葉か。
この言葉を自分の中で反芻し、今日も一日やるべき事に当たる。
本日は以上、