DJ やーまんの令和維新だ!ばかやろう!!!

ド田舎のおじさんが狂った世の中に物申します

カナダ最後のアポ

ワーキングホリデー最後のアポだった。

 

いつも通りトークも出来た。

話も弾んだしクロージングまでの道筋もついていた。

 

恋愛の話になると

 

「付き合って長い彼氏がいるの」

 

彼氏なんて特に問題ではない

 

多忙らしく十分に構ってもらえなくて少し寂しい。

その寂しさを彼氏に気づいて欲しいのか、一緒にいると背伸びしてしまいうまく感情を表現できない。

パートナーに素が出せないない、わがままな女って思われたくないから。

 

押しに弱いタイプなので強引に押してもよかった。

 

でも、何か心に引っかかって踏み出せない。

 

なぜだろう。

 

 

万が一拒否されるのが嫌だから?

帰国してからも友達でいたいから?

 

 

推測の域をでないが一番の心の根っこにあるそれは

 

「強引にゲットしてもその先に何もないから」

 

結論づけるなら後悔したくないから敢えてギラつかなった。

 

いい意味で性欲を制欲していると、ゲットの意味がより複雑になってしまう。

性欲は強い煩悩であり満たし続けるか、煩悩を捨て去るかどちらかしかない。

 

仏教から言葉を借りると「有無同然」と言える。

 

お金や権力など欲望を満たすものを手に入れても、人間悩みはなくならないという意味であり、正に諸行無常である。

 

そんな欲望を満たしても悩むぐらいであれば、最初から持たなければいいと言うような解釈をしている。

 

そして

 

ゲットのその先に何も無いことは知っている。

だからこそ心と心で強く繋がりたいのだと思う。

 

 

アポから帰宅してからと言うもの、心にもやがかかったような感じがする。

ものすごく不透明で害はないが、その雲はとても厚く覆いかぶさってくる感覚がある。

 

後悔するのが嫌だからクロージングしなかったのに、正にそのせいで悩まされるとは滑稽である。

 

そんな心境でいると別の問題にも気が回ってしまう。

 

日本に既存の女性が居るのだが、そういう人がいるからこそ自分に甘えが出てしまっているんじゃ無いかと言う気分にもなってくる。

 

既存で甘えているようでは成長はない。

 

行動あるのみ。

 

人を好きになろうと思って好きになれないのは誠に辛いことである。

 

 

本日は以上、

 

日本一のネオウヨクになる

留学とかワーホリあるある

 

「帰国直前にめちゃくちゃ右翼になる」

 

本日はこれについて考察しよう。

 

読み方はウヨクであり、U-yokuでもある。

直訳すると「Right-Wing」

 

日本大好き!

日本最高!!

日本万歳!!

天皇陛下万歳!!

靖国神社参拝!!

旭日旗に掲揚する!

君が代をカラオケで歌う!

 

愛国心という形は人それぞれであり、

よく勘違いされるのが駅前で街宣車を乗り付けて政治批判などをしている団体では無いだろうか。彼らは在日朝鮮人であり、あのような行為を行う事で対一般人に対し右翼活動に対する嫌悪感を持たせ、愛国心にネガティブなレッテル張りつけ貶めるのが目的である。

 

愛国心ネガティブキャンペーンを行っているだけで、彼らの言葉は恣意的であり、含蓄などへったくれも無いレトリックと言わざるを得ない。

 

 

なので全くもって無視していい。

本当の愛国心は何気無い日本の良さを幸せに感じれるかどうかであり、この心の琴線でけは失いたく無いものである。

 

 

ではどんな事が幸せなのかと言うと

 

 

便利で清潔で誠実な日本社会、

行き届いた行政サービス、

街をあるけば綺麗で心優しい女性たちのパラダイス、

大都会砂漠のオアシスとも言うべきコンビニエンスストアも星の数ほどあり、

世界中の料理が現地についてで最高のクオリティで食べられる、

ラブホテルもレンタルルームもあるし、

日本男児の全ての性癖に対応しているとも言っては過言では無いありとあらゆる趣向を凝らした風俗店、などなど人間の煩悩である108の欲望を満たすには十分すぎる。いや、むしろそれ以上の欲望を満たしてくれる見方を変えれば破滅的な国であり、いいところを上げていたら人生80年短い人間の人生が終わってしまうぐらい。

 

こんなに素晴らしい国であるのだからもっと誇りを持つべきだし、日本人としてアイデンティティも強く持って生きていきたい。

 

帰国したらば羽田空港に着くなり可及的に

 

「日本が大好きだっーーーーッ!!!うn/:@tuっっー^;l@、pjぽkl」

 

などと咆哮してみようかな。

 

今のモチベーションなら、ウヨクドラフトで8団体から指命を頂けそうな勢いである。

日本ハムファイターズあたりに入団し、品行方正な好青年とは似つかわしく無い二刀流ならぬ二枚舌を駆使し大リーグに挑戦もありかもしれない。

 

うん。やぶさかで無い。

 

何がいいたいか分からないと言う暗雲がブログ内に立ち込めてきましたので本日はこれまでにする。

 

一人一人、海外と比較したりして日本の素敵なところ見つけて愛国心持とうぜって話である。

 

そんなに重いものじゃ無いし、日本をこと「祖国」って言えるかっこいい、大人、ネオウヨクになりない。

 

 

本日は以上、

 

 

 

トロントのクリスマスマーケット

トロントで催されている冬を楽しめるイベント

ディスティラリー地区のクリスマスマーケットへ潜入。

 

入り口はこんな感じ。

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平日の昼下がりなので非常に閑散としている。

金曜の夜と週末はエントランスフィーとして6ドル徴収されるので気をつけよう。

 

入り口右手には北米で一番可愛らしいWash Roomが鎮座している。

 

 

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林家パー子さんが奇声を発しながら出てきそうな趣のある佇まいである。

 

場内の雰囲気はかなりムーディーで異国情緒に溢れていて、ひとりぼっちマスの筆者には溺れそうなぐらいである。

 

フランクシナトラのクリスマスソングがそれに一役も二役も買っている。

 

道なりに進んでいくとショップがいくつか立ち並んでいる。

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クリスマスのお菓子シュトーレンマトリョーシカが売っている。

 

もちろんサンタクロースとも写真が取れるキャンペーンも催している。

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わかりづらいが正面の建物中にサンタが数名おり写真をとってくれる。

当然一人の私には並ぶ勇気は無い。

 

 

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中央までいくと迫力のあるツリーがありフォトジェニックにはうってつけ。

 

 

奥にはミニサイズの遊園地もある。

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ミニチュアみたいな遊園地だが、子供心くすぐられる。

 

お気に入りのバルザックスコーヒーのWinter Blend Coffeeでブレイク

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場内にはアパレルショップ、バー、レストランなど何でもあるのでデートにおすすめ以外の何者でも無い。食べログで言ったら5.0である。

 

一人でも十分楽しめるスポットで歩いているだけでもテンションが上がる。

もし、素敵な淑女と訪れたならばクリスマスで一番の思い出になる事のは間違いない。

 

寒いので防寒対策をしっかりし訪れてほしいスポット。

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最後に筆者の大好きなクリスマスの過ごし方はクリスマスソングのジャズを聞きながら

紅茶を飲んで読書する事。

 

今年はカナダと日本のクリスマスも味わえるなんて贅沢な人間である。

 

本日は以上、

 

トロントでタイ料理を食べてセントローレンスマーケットでお土産を買う

今日はよくあるフレンチレストランのシェフのお任せコース料理ぐらい季節感がある記事を書こう。

 

もちろんメインディッシュは一年中「牛ほほ肉の赤ワイン煮込み」である。

季節感もくそもへったくれもあったものではない。

このパラドックスついてどなたか解明してほしい。

 

そして

 

ぼっちクリスマスの権化とかした私は、狂犬病にかかった柴犬のような鋭く混乱した目つきでトロントの赤レンガ倉庫に足を運ぶことにした。

 

ダウンタウンの東側に存在する、「ディスティラリー地区」では毎年この時期になるとクリスマスマーケット開催している。

 

場所は地下鉄TTCのKing駅から徒歩15分ぐらいの場所にある。

 

その前に急に催したかのようにタイ料理が食べたくなりトロントで4店舗ある老舗タイ料理レストラン「Sukho Thai」に立ち寄ることにした。

 

早速、シンハビールを注文するも品切れというイタリアンレストランであればハウスワインがないぐらいの重篤なアクシンデントがあったものの、コロナで手打ちにし海老のパッタイとマンゴーのサラダと注文する。

 

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マンゴーサラダ 6.5$

 

シャキシャキと歯触りのよくほんのり甘いマンゴーとビネガー、レモングラス(多分)の風味が爽快な一皿。

 

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海老のパッタイ 18.5$

お待ちかねのパッタイである。味は平均的ぐらいで量が多い。女子であれば3人前ぐらいはあるので気をつけてほしい。

 

上記二品にコロナボトルを頼んでチップ込みでしめて40$。

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高すぎる。かなり控え見えに言っても高すぎる。

日本円で3400円程度と換算する。

 

 

ランチでこの値段とはお昼ご飯を500円ランチで済ましているダボダボのスーツとヨレヨレのワイシャツを着こなし新橋を颯爽と闊歩する自称企業戦士である「スーーパーーエリートサラリーマン」からすれば清水の舞台、いやナイアガラフォールズから心中するぐらいの狂気の沙汰である。

 

 

もし、

 

 

トロントでタイ料理を召し上がるならチャイナタウンにある「Thai Country Kitchen」の方が断然おすすめである。

 

パッタイの味も量も値段もベターであり、いかなるタイミングで来訪してもちゃんとシンハビールが冷えている。

 

 

気を取り直し、寄り道がてら「セントローレンスマーケット」でお土産を買おう。

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セントローレンスマーケットはお気に入りのスポットであり、平日に昼間に行けば閑散としたマーケット内をゆっくりとショッピングできる。

 

パニーニなど軽食もあり食事にも買い物にも優れたスポットである。

また、巨大な肉を購入したければなんでも揃う。

原人の宴に使うようなトマホークサイズの骨つき肉も手に入る。

 

そしてお目当はこれである。

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アイスワインティー12p入り」

 

カナダの名産品のアイスワインのフレーバーを紅茶に纏わせており甘い香りとブドウ芳醇さがほんの少しだけ味わえる一品である。

 

この木箱入りの物はネットショップを見た限り、日本未発売である。

やーまん調べなのであてにならないがある程度の希少性は確保できている。

 

トロントのスーパーでもこれと全く同じものは見かけたことはないのでセントローレンスマーケット内地下で一番奥にあるお土産屋さんでしか手に入らないはず。

 

他にどこで買えるかご存知の方は情報を求む。

 

箱が可愛いし、女子受けいいし、場所も取らないし、割れないし、日本に売って無いし、高すぎず安すぎないし自分用にも買うぐらい美味しいのでカナダのお土産でお悩みの方はもう迷う必要は無い。

 

結局、メープルシロップを買っても重いし、割れるし、日本で買えるし何と言っても普段使わないのでわざわざメープルシロップを使うためにパンケーキを焼くという主従関係が逆転した摩訶不思議な現象で関係者を混乱させてしまう。

 

それはインスタにアップしたいが為、料理を注文しながら8割食べ残して帰るキラキラインスタグラマーぐらい達が悪いのでメープルシロップをお土産にするのはやめた方がいい。

 

 

そして気になる点が

 

スーベニアショップが数店舗あるのだがよく観察するとほとんが中国人の経営。

同じ商品でも隣の店舗と価格が違うという商売の基本である「市場調査」を怠ったとても気さくでアットホームでユニークかつ値切りにシビアの中国人たちも見所の一つ手である。

 

次記事でクリスマスマーケットをレポートさせていただく。

 

本日は以上、

 

 

 

国語力の重要性

学校で教えてくれる科目の中で道徳ついで大事なのが「国語」である。

 

中学校から勉学を蔑ろにしてきたツケが、歳を重ねるごとにレバレッジを聞かせて私に牙を向いている惨憺たる状況である。

 

ナンパの記事を書いて自己陶酔に浸っている場合ではない。

 

 

なぜ国語力が大事なのか。

 

知識を得るため偉大な先人が書いた沢山の書物の海に飛び込む訳だが、ある程度国語力がないと読み解けないからである。

 

ただ読むのと理解するはまるで別物であり、波打ち際で遊ぶのと深海に潜るぐらい差があると考えている。

 

読んで字のごとく理解できないと、筆者がなぜその思考に至り、実践し、結果を残し、筆を取ったのか、そこまで読み取らないと聡明な筆者の脳とロジックに同期が出来ない。

 

今ままで理路整然と書かれた文章に対しよくわらない単語は読み飛ばして、専門用語も調べずその前後の文脈でなんとなく把握したり、筆者ならではの表現をよく理解出来ないのにスルーしてきた。

 

なんとくなく読んで理解したフリでは

なんとなくの人間にしかなれない

 

文章とより真摯に向き合い、斜に構えて挑まねばならない。

 

と言う訳で以下の習慣を行うことにする。

 

好きな作者に作品に出でくる単語、熟語、言い回しを研究しマイ国語辞典を作りインプットし、その言葉をブログで使用しアウトプットする。

 

わからない表現は何度も読み返す、音読して理解するまで追求する。

 

これらを語彙力をあげる習慣を毎日行う。

 

人に影響を与える文章の書き手は、その知性が画面を通しても伝わってくる。

知性は魅力の源泉であり、私も素敵な言語能力を身につけたいものだ。

 

本日は以上、

 

 

 

 

地方創生は死ぬほど大事

私は地方創生がしたい。

生まれたての子犬を愛でるような、それぐらい純真無垢の気持ちで。

 

そんな事考えるのは帰属意識が強いマジョリティの言葉だと思われがちである。

 

なぜかと問われれば

 

「地元が好きだからとか」

少子高齢化で廃れていくのを見ていられないから」

「地域社会の経済に貢献したいから」

 

うーん、なんというか表面上の理由しか出てこなかった。

 

これはこれで素晴らしい理由であるが地元に住み着いてる土着の人間は都会から彗星のごとくやってきた前途有望で品行方正な若者に対し、吝かな態度をとってくるから困りものである。

 

人間の「老い」と「自己保存」は脅威としか良いようなが無い。

 

今後、

そういう了見の狭い、偏狭な人生の大先輩たちを説得し協力を仰がねばならぬ。

 

そういう事でより本質的な動機は何かと常々考えていたところ、一つ正解に近似する観念にたどり着いた。

 

それは

 

「先祖代々の土地を守り、繁栄させたい」

 

これに意義を唱える老輩はいない。

むしろ、吝かでは無さすぎて困るぐらいである。

先の抽象的な答えを捨象し具体的に表現する事に成功した。

 

この潜在意識を「愛国心」から紐解いて見る。

 

愛国心とは様々な切り口で説明ができるが、限定的に書かせて頂くと

愛国心とは「日本の国土に対する帰属意識」である。

 

なぜ国土を愛し、帰属意識を持つ事が大切なのかと言うと

 

先祖代々、その場所に棲みつき生活し、生殖し、繁栄し、死んで土に帰って行ったからである。

 

先祖が存在しなければ私たちは存在しない。

文明開化から高度経済成長を経てインターネットの黎明期からIT革命の恩恵を怒涛のごとく享受している現在の若者である私達。

 

色恋における情事すらLINEなるチャットアプリで行う時代である。

平安時代、愛を告白するのに和歌を詠みTwitterより少ない文字数制限「5,7,5,7,7」と戦い枕詞を鋭意検討し厳選に厳選を重ね、フィルタリングしスクリーングしリリックにしていた平安貴族から見れば十二単からユニクロヒートテックへ置き換えられたぐらいの爆発的な進化である。

 

その上、LINEでの告白が女子にキモいと判断されればインターネットと言う情報の大海原で未来永劫かつ不特定多数の人に謁見されて清廉な男子の心はバーチャルの世界で地獄の業火で焼き続けらる事態に陥る。

 

また、

 

女子の「生理的に無理」は「キモい」と双璧をなす原子爆弾並みに威力を持つ言葉で

現代における「水戸黄門の紋所」並みに清廉潔白で貞操観念の塊である非モテ男子おいては脅威的な破壊力を持つ。

 

 

 

申し訳ない、話がそれた

 

 

 

要するにご先祖様がその時代、その時代の困難を耐え凌いで命をつないでくれたのだから先祖には感謝するのはもちろんの事、その人たちが大切にしてきた土地を私たちも大切にするのは当たり前の事である。

ご先祖の対し畏敬の念が人一倍強い私にとっては湧水ごとく自然に湧き上がる素直な気持ちである。

 

狩猟生活で公平な時代であった縄文時代が終わり

稲作が始まり優劣や貧富の差が自然発生する弥生時代

貴族が謳歌した平安時代から武家が台頭する鎌倉時代に続き

世は戦国、覇権を握るため戦に次ぐ戦があり

家康が天下統一し世は太平に

そして黒船来航から明治維新が始まり

太平洋戦争を経て今の表面上平和な日本に繋がるのである

 

 

この2000年程の年月においても、

飢餓、飢饉、疫病、地震、噴火、津波、戦争など数え切れない幾多の困難があった。

 

それを時代、時代の課題に向き合い生き抜いてきた先祖は逞しく畏敬の念しかない。

 

これらを乗越えてきた先祖から見れば食べ物には困らず、好きな仕事につけて、結婚相手を選べ、欲しいものがボタンひとつで手に入る時代なんて最高すぎるであろう。

 

 

不特定多数の先祖から見た時間軸で最高の時代に生を受けられた、その幸運を身にしみて逞しく自信を持って生きていこう。

 

 

そういう気持ち

 

だから、私は故郷を守り繁栄させたい。

 

 

本日は以上、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

脳をコントロールして現実を変える

「私は悟りを開いた」

 

ブッダが主人公の小説みたいな切り口だが、私自身一つ「境地」を見出したので共有させて頂く。

 

目の前の光景は脳で見ていると言う事は容易に想像がつくだろう。

両目から入った光が脳全体で認識され「現実」と言う形となって頭の中のスクリーンに映し出される。

 

光が脳内で情報を整理し全ての意思決定を行い、日々の日常へと姿を変える。

 

「現実=脳」

 

拡大解釈しすぎかもしれないが私はそう関連づけている。

 

つまり、脳をコントロール出来れば目の前の現実もコントロールできると言う事。

 

脳は日々おかしな誘惑にさらされている。

 

働きなくない

遊びたい

勉強したくない

一日中寝ていたい

運動したくない

ギャンブルしたい

甘いもの食べたい

ジャンクフード食べたい

タバコ吸いたい

お酒飲んで嫌な事忘れたい

ポルノ見たいな

オナニーしたい

 

脳に悪影響がある誘惑は枚挙にいとまがない。

 

このように自然発生的に湧き上がる誘惑を断ち切り、すぐに怠けようとする脳を律し良い習慣を継続する事が出来れば現実をコントロールできると考える。

 

目の前の光景は自分自身の過去の行いが脳に投影されているにすぎない。

 

身の回りの人に人生上手くいっている人とそうでない残念な人がいると思う。

 

よく観察してみると、人生が上手くいっている人は自分の脳を支配下に置く「脳力」

が高く、そうでない人は誘惑に弱く怠け者の傾向にあると言える。

 

最初から「脳力」が高い人もいればそうでない人もいるが「高い志」と「訓練」次第でどうとでもなる。

 

そもそも、高い志がないと脳をコントロールする意味も無いのだが。

 

どんな事も21日間継続すれば「習慣」になる。

朝起きて歯を磨くのが嫌な人がいるだろうか、寝る前にシャワーを浴びるのが嫌な人がいるだろうか?

 

全ては習慣の賜物である。

 

どんなに小さな事でも良いから21日間続けられる、良い習慣を取り入れて目の前の現実を変えよう。

 

 

本日は以上、