国語力の重要性
学校で教えてくれる科目の中で道徳ついで大事なのが「国語」である。
中学校から勉学を蔑ろにしてきたツケが、歳を重ねるごとにレバレッジを聞かせて私に牙を向いている惨憺たる状況である。
ナンパの記事を書いて自己陶酔に浸っている場合ではない。
なぜ国語力が大事なのか。
知識を得るため偉大な先人が書いた沢山の書物の海に飛び込む訳だが、ある程度国語力がないと読み解けないからである。
ただ読むのと理解するはまるで別物であり、波打ち際で遊ぶのと深海に潜るぐらい差があると考えている。
読んで字のごとく理解できないと、筆者がなぜその思考に至り、実践し、結果を残し、筆を取ったのか、そこまで読み取らないと聡明な筆者の脳とロジックに同期が出来ない。
今ままで理路整然と書かれた文章に対しよくわらない単語は読み飛ばして、専門用語も調べずその前後の文脈でなんとなく把握したり、筆者ならではの表現をよく理解出来ないのにスルーしてきた。
なんとくなく読んで理解したフリでは
なんとなくの人間にしかなれない
文章とより真摯に向き合い、斜に構えて挑まねばならない。
と言う訳で以下の習慣を行うことにする。
好きな作者に作品に出でくる単語、熟語、言い回しを研究しマイ国語辞典を作りインプットし、その言葉をブログで使用しアウトプットする。
わからない表現は何度も読み返す、音読して理解するまで追求する。
これらを語彙力をあげる習慣を毎日行う。
人に影響を与える文章の書き手は、その知性が画面を通しても伝わってくる。
知性は魅力の源泉であり、私も素敵な言語能力を身につけたいものだ。
本日は以上、