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ド田舎のおじさんが狂った世の中に物申します

矛盾という言葉の類義語に女性を追加してほしい件

「矛盾」

矛盾(むじゅん、英: contradiction)とは、あることを一方では肯定し、同時に他方では否定するなど、論理の辻褄(つじつま)が合わないこと。物事の筋道や道理が合わないこと。By Wikipedia

 

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それは中国における春秋戦国時代に生まれた言葉である。

楚の商人が「この矛に突き破れないものは無い」と謳い、もう一方では「この盾はどんな鋭利な武器でも貫通することはできない」とダブルボケの一人舞台である。それを見ている庶民から、ツッコミ両面待ちからの国士無双だウェイと言う感じが見て取れるがこれが矛盾として韓非子により後世に伝えらたのはあまりにも有名な話である。

 

 

これは故事成語であり例えが古すぎる。

わかりやすい現代版があってしかるべきであろうと考えるのは私だけであろうか。

 

「小麦粉アレルギーもちのアンパンマンとか」

彼女いない歴=年齢の非モテ童貞おっさんから恋愛指南を受けるとか」

「極寒のアラスカへTシャツと短パンで乗り込む、寒がりとか」

「中央権力に支配されない通貨目指したビットコインが、世界中で市民権を得るために

国家権力の監視を望んでいるとか」

 

 

いろいろあると思う

塾考した結果、正に矛盾の権化とも言うべき「女性」に登場していただくのが筋であろうと思いこの記事を執筆いたした。

 

 

「矛盾=女性」が成り立つエピソードを時間をかけ厳選に厳選を重ね、記憶の断片から思い出したことをタイピングしてみた。

 

 

 

第一に嫌いな食べ物ある??と聞いた場合。

 

下記のような答えをする女性が見受けられる。

 

「生のトマト食べれな〜い♡でも、パスタのトマトソースは大好き♡」

 

これはまさに、矛盾の象徴であり、国民的シンボルかつ、世界各国に存在するインチキ経営者にベンチマークされるぐらい重要なケースである。

 

トマトソースの原材料は「トマト、水」でありそれ以外はまじりっけなしである。市販のトマトソースに使用される加工前のトマトは生のトマトと同じアンデス山脈原産のナス科ナス属の植物で奇しくも色は同じ赤でありこれは偶然では無い。

 

全くもって同一のトマトと言う存在をかた一方は嫌いで、もう一方は大好きと言うのは矛盾以外の何者でも無いだろうか。

 

 

旧約聖書に例えるなら、生まれながらに「原罪」を背負って生まれてきた人間と同じような扱いであり、生まれながらにしてアダムとイブが犯した罪を負わされてきた人類は無条件に罪人であると言う旧約聖書の神と、トマトも生まれながらに罪人であり同じトマト同士ににも拘らず、女性という女神の前では片一方は好かれ、かた一歩は迫害される運命にあるのと同じである。

 

 

トマト自身、食物連鎖の頂点の人間様に平等に愛されたくて生まれてきたにも拘らず。

我々、人類も皆平等に神に愛されたくて生まれてきたにも拘らず。

 

 

トマトも人類もかわいそうである。

 

 

その上、散々迫害されて満身創痍のトマト達を断崖絶壁の崖から突き落とす女神の言葉がこれである。

 

「普通のトマトは食べれないけど〜♡ミニトマトは食べれる♡」

 

正に鬼畜の所業でありこの一言はトマトにとっては精神の殺人、トマトレイプの以外の何者でも無い。

この言葉がきっかけで自ら命をたったトマトのご冥福の祈りたい。

 

 

アーメン

 

 

第二のケースはこれだ。

「めちゃくちゃデブなのに人前では、小動物のおやつぐらいしか食べない」

これは矛盾以前にエネルギー保存の法則に対する冒涜である。

 

「こんなに少食なのになぜか、この豊満かつ放漫な体型を維持できてしまうのよね」と言うメッセージを周りの女性に対し暗に伝えているのであろうが自分が摂取したエネルギー、もといカロリーが反映されているに過ぎない。

 

そんな放漫なバディを持った彼女たちであるが

もし、あなたが女相撲教会の親方衆で東日本スカウト担当であれば二度見してからきっとこのような発言をしてしまうのでは無いかと言うぐらいふくよかな女性に出会ったことは無いだろうか。

「一目惚れしました。俺の為に一生ちゃんこ鍋作ってくれませんか?」

 

ふくよかな女性は「人前でも気にせず食べる派」と「人前だと気にして食べない派」の二つに群れを分ける事ができる。後者の少食癖のある女性の生態はこうなっていると推測される。

 

他人からの目で

「一人前かそれ以上食べるから太るんだよ、って思われたく無い」である。

 

この思考に至る経緯を説明しよう。

 

彼女たちは食欲という名の最強かつ最恐の煩悩に取り憑かれ、暴君のような専制君主の元に育て上げられた肉体は、ナポレオンのごとくダイエットと言う言葉を己の辞書から消し去り怠惰な精神を棚にあげて生活する魑魅魍魎な世界と推定する。

 

そうなると太っているのはもはや自分の責任では無いく、食べたら太るものが私の周りにあるのが問題であると言う責任転嫁の権化、他責思考の僕とも言うべき愛おしい存在であると言える。

 

 

「あんなに太ってるのにおかわりするのね。信じられな〜い」

「自分がデブって自覚無いのかしら。信じられな〜い」

 

 

と言う具合に影で嘲笑の対象にさらされてしまうのが耐えら無いのである。

「だから太ってる」って思われたく無いのに必死な様であり、これは矛盾と言えるのでは無いだろうか。太ってると言うありのままの自分を見つめ直しダイエットに励むべきところを人前においては「太ってるのは私の責任では無い」かとばかり少食をアピールするのは現実逃避であり物事の道理や辻褄が合わない。正に矛盾である。

 

そんな女性たちにとって人前で一人前かそれ以上食べるという事は自殺行為であり、この発言により豊かで自由な食欲を絶たれたデブ達のご冥福をお祈りしたい。

 

 

「ラーメン」

 

 

そして、最後になるが本項が一番申し上げたい事である。

 

 

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これは遵守しなければならない。

 

 

ついては、あまり大きい声では申し上げずらい事なので子供のヒソヒソ話、内緒話程度の感じで聞いて頂きたい。

 

 

 

 

 

 

 

ボソッ

 

 

 

 

 

 

 

セッ○スしてる最中

もっとやって欲しい時、、

気持ちよすぎて死にそうって時に、、、、

 

 

「あ〜〜んやぁだっ、ダメぇぇぇえぇぇっ♡♡♡」

 

 

って言うのなんで!!!!!!!!

 

 

もはや矛と盾の関係を通り越している。

 

 

この女性達の矛盾した発言で性欲を棒に振り、辛酸を舐め、悔し涙を流し、恋愛資本主義と言う競争社会の中で海のモクズのごとく散ってきた非モテたちに心からご冥福をお祈りしたい。

 

 

 

 

 

「ザーメン」

 

 

 

 

 

本日は以上、、