DJ やーまんの令和維新だ!ばかやろう!!!

ド田舎のおじさんが狂った世の中に物申します

知恵と智慧の違いを知らない人が多すぎる

掲題の通りである。

1週間前まで私もその手の人間であった。

 

ここ最近の関心といえば人の欲についてであり、どうも煩悩の先には何もなさそうだと言う見解まで来ている。最終的には出家もありかなと思う今日この頃であるが仏神に一番近い人種ながら仏教の教えについては、この年齢になるまで顧みる事はしてこなかった。

 

何か不思議な力と言うか、奇譚的な話では無いが気がつくとこの教えてに辿りついていた。

 

「知恵」

 

智慧

 

この違いについて説明せよ。

 

杓子定規な設問であり、無味無臭のガムみたいなテストの問を思い出せるかもしれないが少しお付き合い頂きたい。

 

 

「知恵」とは

 

捨象して回答するならば

覚える、実践する、計画する、計算する、思考するなど示す言葉で抽象的に表現すると自分の利益、損得を判断する事。

 

頭の良さ、機転の利くなど社会においてこの「知恵」が最重要な能力であり、ある意味人間の価値とも言える。

 

 

 

智慧」とは

 

真実とは何のか見透そうとする頭の働きであり

真理をはっきりとさせようと言う仏教の中のさとりの一つである。

 

生きるとは何なのか、欲望とは何のか、社会の真実などレトリックを見抜き本当のところはどうなのか突き止めようと考える事とも言える。

 

 

私の頭の中でこの二つの意味を成す言葉が一つは縦軸の円を描き、もう一方が横軸で円を描きながら交差し回転しながらバランスをとっている。

 

 

「知恵」に傾き過ぎれば狡猾となり、智慧に振れすぎると仁に偏り、思考が肩こりを起こし硬直してしまうような感じさえある。

 

なぜそう表現できるかと言うとこう表現できるからである。

 

 

「知恵 = 損か、得か」

 

智慧 = 真か、偽か」

 

 

蓄えた知識を知恵として使いこなす訳だが損得だけで物事を判断すると打算的になりすぎる。しかし、かと言って物事を本当か嘘かだけで決めつけて考えてしまうのも少し窮屈である。

 

 

自分の中でバランスを取り続けるしかない。

そして両軸の円を大きく成長するにはどうしたら良いか探求する。

 

 

 

 

本日は以上、