DJ やーまんのカナダdeワーホリ奮闘記 

〜ギリホリおじさんがカナダで奮闘するブログ〜

自分の中の学歴コンプレックスを殺した

学歴コンプレックスはあるのかと問われたら。

 

答えは

 

表面上は

「ある」になるし。

 

実際は

「ない」になる。

 

学歴がない人が「学歴なんて関係ないよ」と言っても、それは遠吠えにしかならない。

 

私の知人がこう言っていたのを思い出した。

その知人はとても有能で勉強に励めば好きな大学や学位を選べただろう。

 

知人の地元はある有名私大のキャンパスがある場所。

当時、中学生だった彼は部活の朝練のため早朝の駅前をペダルを踏んで通過するのが日課だった。

 

そこで見られる光景は

 

有名私大の学生たちが酔いつぶれているみっともない姿。

 

その時、彼の兄が大学受験を控え苦労している姿が重なり受験戦争を勝ち抜いて有名大学に入ってもこの有様かと思うと。

 

日本で学ぶことへの意欲を奪われ海外の学び舎の門を叩くきっかけとなる。

 

知人の気持ちはよく分かるし、実際に行動し活躍している。

 

私自身も中学生の時、地元の公立中学でトップの成績だった。

当時の私にとって勉強は覚えるだけの作業だったのでとても簡単だったし、テストの成績順にランキンがされるシステムがエキサイティングだった。

 

マウンティングと言う言葉は知らなかったがそういうことである。

 

しかし、あまりにもずさんな目標設定だったので挫折する羽目に。

 

「学校のテストで一番になること」

 

そして

 

中学一年生の一学期の最初の中間テスト目標を達成してしまった。

あまりにもあっけなかった。

 

たくさん勉強すると周りの大人が褒めてくれた。

とても嬉しかしかったし、学欲の源泉だった。

 

目標を失った私の成績は不可逆的な状態で学校生活を終える。

 

 

勉強は目的達成の為の手段なのだから、もう一度頑張りなさいって諭してくれる大人も周りにおらず。

 

当時私の夢は

 

「いい大学入って、国家公務員になって官僚になりたい」

 

最初はそれで良かったがそれもいつしか既定路線でつまらないし何か違和感を感じていた。

 

 

言葉にするならこうなる。

 

もしかしたら自分は

 

「勉強する為に勉強しているんじゃないかって」

 

 

いい大学入るとか、一流企業へ就職するとか、国家公務員になるとか

そんなのはただ手段にしかすぎない。

 

 

もし、あのまま進んでいたら学歴や肩書きなのない人を見下す下衆な大人になっていたかも。

 

 

まやかしの勝ち組になり永遠に社会の歯車として一生を終えていたかも。

 

 

そこそこな年収で

そこそこ綺麗で慎ましい女性と結婚し

そこそこな家を買って

そこそこな車に乗って

そこそこな人生を送るだろう

 

そこそこな物が手に入り、そこそこな男で終わる。

 

死ぬ気で努力とか命がけで事業を起こすとかそういう気には絶対ならないだろう。

 

そこが一番大きな問題である。

 

大学や企業名、組織名なの肩書きや地位は人を判断するとても分かり安い指標である。

一定の狭き門を通り抜けてきた人だから、立派な人だろうと錯覚する。

 

そういう人もたくさんいるがそうでない人もたくさん存在する

 

だからこそ

「一番大切なのは志」

  

肩書きや地位なんて他人の決めた基準であり価値観である

 

そんなものに価値はない。

自分自身で創造する価値観が何より大切である。

 

 

 

 

 

官僚になる夢が叶わなくて本当に良かったと思っている。

 

無能なイエスマン

政治家という邪な俗物の手下なるぐらいなら死んだ方ましだ。

 

 

本日は以上、