幸せを再定義しようと思う
帰国後、友人に近況報告したり、事業の段取りをしたりでバタバタしている。
いい話も悪い話もあるが皆それなりの幸せを手にしている。
幸せとは何か考えると「無」の世界では無いと考えいてるが、それはとても身近過ぎて目に見えないものらしい。
幸せとはどんなことか?
どこにあるのか?
日本を例にとって考えてみよう
喉が乾いたら清潔な水がいつでも飲めて
お腹が空いたら好きな物を好きなだけ食べられて
大好きな仲間と酒が飲めて
どんな職業につく権利も有していて
インターネットは世界中に張り巡らされ光の速さで情報交換できて
ほぼ世界中を網羅できるパスポートを所持し
好きな趣味没頭できて
誇りを持った仕事に人生を捧げられて
自分の好きな人と恋愛して結婚して
幸せな時間を家族と共有し死んでいく
これが今の日本です。
大事なのでもう一度言雨がこれが今の日本です。
エデンの園でアダムとイブが過ちを犯す前の世界では無い。
どうやら
聖書を信仰したり
イスラムでジハードを自爆テロを行わなくても楽園に行けるらしい。
この極東の国を楽園と言わずしてどこを楽園というのか?
日本人は幸福度が低い事で有名であるが如何なる了見か。
いつから幸せを感じる感覚を無くした民族に成り果てたのか?
現在、私は事業を立ち上げる準備中なのでほぼ無職であり今のところ年収は0円である。
年収ランキングがあれば1億2000万台は確実であるが
個人の幸福度ランキングは1位の自負がある。
定職にも就かず、インターナショナルニートである訳だが、
何人かの心清らかなブサイクにも愛され心身ともに健やかかつ壮健である。
山の様に積み上げたれたタスクを日々こなしている訳だがそれだけで毎日、毎日死ぬほど幸せである。
幸せは外に求めるのではなく、内から見いだすものであると言う事に気づいた。
自分の気持ちに正直に主体的に生きるだけ。
そんな難しいことじゃ無いと思うんだけどな。
本日は以上、