DJ やーまんのカナダdeワーホリ奮闘記 

〜ギリホリおじさんがカナダで奮闘するブログ〜

挑戦と挫折 前編

ふと20代を振り返った

頭の中で雑多な本棚を整理するような感じで

一つ一つの場面とその時の気持ちをなるべく詳細に思い出す

 

当たり前のように生きてきた日々が挑戦と挫折の連続であったことに気づいた

 

地元の高校を卒業後、1年制の調理師学校へ通う

 

19歳で上京しホテルで西洋料理のベースを学ぶ

 

シンプルなイタリア料理に魅了され

 

23歳でホテルを退職し街場のレストランで南イタリア料理を学ぶ

 

24歳にして初めてイタリアのシチリア島へ行く

それが運命の分かれ道であることは知る由もなく

本場の料理に触れた事がきっかけで料理人として挫折する

 

なぜ挫折したのか

 

 

本場のイタリア料理は最高だった。

南イタリアならではのエネルギーに満ち溢れた食材をシンプルに調理する

地中海に降り注ぐ太陽をたっぷり浴びた野菜たちとコバルト色の海で育った新鮮な魚介類をふんだんに使った前菜、パスタ、リゾットは感動を通り越して雷に打たれたような味だった。

 

日本に帰国し記憶を頼りに感動的だった味を具現化しようと試行錯誤した

 

 

しかし、到底及ばない

 

 

なぜか?

 

そもそもイタリアと同じ材料が手に入らない。

同じ物と言う意味ではなく同じ質のと言う意味で

 

 

例えば魚介類が分かりやすい

そもそも日本沿岸の海水と地中海の海水は塩味が違う

 

日本はやや塩辛い

シチリア島はややマイルドな海水だった

 

水が違えば魚介類の味に与える影響も全く違う

 

野菜やフルーツも同じである。

全く同じ条件の物は手に入らない。

 

そして何より食べる環境が与える味に影響する。

 

カラッとしたそよ風と照りつけるようなエネルギッシュな日差しを浴びながら

中世を思わせるたくさんの建物や教会などに囲まれた素敵なパティオで

冷えたスプマンテを片手に料理を頬ばるのが本当の南イタリア料理である。

 

ならではの雰囲気の中で郷土の料理を味わうのが醍醐味であり真髄である。

 

日本で食べれるのはジャパリアンでしかない。

人それぞれ価値観は違うが私はそう感じた。

 

極論かもしれないが同じような例えをすると

「日本人がアフリカへ行って黒人が握っている寿司を食べているのと同じである」

 

 

本物を知ったからこそ自分作る料理との解離がありすぎて

それ以上、包丁を握る事が出来なくなってしまった。

 

「何か違う」

 

それが心に引っかかってどうしても取れなかった。

 

料理を作るのが好きな事と

料理を仕事にする事は全く違う事であると

 

その時25歳

今なら違う業種にもチャレンジできる

 

そう思い

 

新しいステージに向かった

 

 

続く、、