DJ やーまんの令和維新だ!ばかやろう!!!

ド田舎のおじさんが狂った世の中に物申します

ブラックとかパワハラとか常識の範囲でやれ!!

テメェ!このやろー!!

ばかやろー!何やってんだよ!!

いい加減な仕事すんじゃねえ!

男のくせに泣き言言ってんじゃねえ!!

常識の範囲でやれ!!

ほんと情けない奴だな!!

だからお前はダメなんだよ!!

 

これらの罵詈雑言は実際に言われたことです。

料理人として駆け出しの頃、親方に厳しく指導されていました。

直接手は出されなかったけど毎日怒鳴れるから憂鬱になる。

 

通勤中に胃が痛くなり、どうしても会社に行きたく無いもんだからこのまま電車が止まらないかと真剣に考えていたのを鮮明に思い出します。

 

本当に殺されるんじゃ無いかぐらいの勢いで怒られる時もあったし

弱気な態度を仕事に出すと終業後2時間ぐらい説教されて泣く時もあったし

 

繁忙期なんかどう考えても絶対的に終わらない量の仕事を抱えているのに、

 

時間内に終わりませんとか

できませんとか

 

ネガティブな言葉を吐こうものなら

 

「お前に任せてる仕事が終わらないってことな、だったら俺がやるから帰っていいぞ」

 

そんな事言われたら明日からポジションを任せてもらえなくなり、職場内無職状態になるので

 

無理しても出来ます!!

 

って言って

 

親方が帰った後にコソコソ調理場に戻って、仕込みを夜中までやっていた事も

 

それだけ自分の仕事に責任を持てとか、

決められた時間内に終わるように段取りを考えたり手の早くする技術を磨きなさいとか

 

そういう意味で厳しい事言ってくれたんだなと

 

最近はパワハラとかブラックと言う単語で表現されるけど

普通に残業させてもらえる職場がどれだけ羨ましかったか

 

この頃はもう軽く洗脳されていたかも

一片の疑いもなく親方の考え方が全て正しいと思っていたし

 

当時、親方はホテルの調理部門のブランチマネジャーだったので人件費を削減するのは自分の評価にも直結してきます。

だから本心で部下の事を思って言っていた部分と自分の利益になる部分もあったと思います。

 

出来ませんって言えない環境にすれば無償で労働力を搾取出来るから

 

料理人の世界なので一般社会とは正義や美徳とする考え方までまるで違います。

そんな厳しい世界で19歳から22歳の3年間過ごしました。

 

 

仕事は常に先の先を考えて行動しろとか

雀の涙の給料なのに全部、料理の本とか食べ歩きに使って勉強しろとか

人が求めるくる仕事を120%でこなして初めて評価されるとか

男たるもの言い訳するんじゃねえとか

 

盲腸になった時、自分も若い時痛いの我慢してえらい目にあったもんだからすぐに手術して切ってもらえとか

 

そして術後意識が朦朧としている中、忙しいのに親より早く病院に駆けつけてくれたり

 

自分は仕事にめちゃくちゃストイックで最優先するくせに人には仕事より家族の方が大事だろって言ったり

 

自分はお酒大好きでたまに飲みすぎて駅やら道やらで寝ちゃってお財布なくしちゃったり

 

やーまんが街場のレストランに行きたいって言った時に真剣に引き止めてくれたり

 

結局辞める事になって送別会の最後の別れ際に「新天地でもがんばれよ」って涙してくれたり

 

料理人を辞めたも今でも当時と分け隔てなく接してくれたり

 

亡くなった人みたいな語り口ですが今でも健在でホテルの総料理長として活躍されています。

 

実はいいブラック企業とかパワハラもあると思います。

もし、人生を長いスパンで見ることが出来たなら

 

今でも苦しい時や辛い時には親方の厳しい言葉が心の支えになってくれます。

 

周りの人よりちょっとやそっとじゃへこたれない精神力を身に付けられた事。

そしてやーまんを社会人たらしめる基礎、まさに礎を気づいてくれた大恩人です。

 

最近ふと昔の事を思い出す節があったので記事にさせて頂きました。

 

自分の為に真剣に怒って指導してくれる人に巡り会えて本当に感謝しています。

 

ありがとうございました。

 

親孝行出来るように頑張ります!!

 

 

本日は以上、

 

チュクチューン